31
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2008(Wed)
予約投稿。
昔の日記絵。

↓書きかけの小説の、猫男もとい近侍の青年のキャライメージだったり。
天空の花嫁
1,氷の姫君
水も滴るいい女――そう賞賛されたのなら、どんな女性も悪い顔はしないだろう。
しかし、実際に頭から泥水を被って笑っていられる女性は、相当に我慢強いのか、はたまた、水を被ったことに気づかない大ボケか。
シールン王家の末姫に仕える、漆黒の髪に深紅の瞳が鮮やかな青年ルージュは、頭から水を滴らせる主の姿に――心の内側で、そう思考した。
彼の主であるラナリスタ姫は、我慢強くもなければ――我慢するより、状況打破に努める性格で――大ボケでもない――けれど、いい女ではあった。
シールン国の末姫であるラナリスタ。年は先月、生誕の日を迎えて十六を数えた。
少女から乙女へと、緩やかに成長する兆しを見せる優美な肢体。
淡い薄紅色のドレスの大胆にカットされた胸元に映えるは、雪花石膏の肌。
瑞々しくはりのある頬は、淡いピンクに色づき、柔らかな線を描いて流れる先の、顎は細く。
赤い色の唇はふくよかで、女の色香を漂わせていた。
瞳は、透明で深い青色をしている。その煌めきはまるで宝石のようだ。金の睫に縁取られた二つの宝石は丸く、乙女の中に一欠けらの幼さを残していた。
緩く波打つ淡い金色の髪に包まれ、色っぽさと愛らしさを同居させた姫君の美貌は、目に留めた者の呼吸を忘れさせるほどに、美しく。時を忘れて、見惚れてしまう。
ラナリスタの美貌は、例えるなら艶やかに咲き誇るバラの花のようである。
――肌は白い花の純潔。
――唇は赤い花の情熱。
――頬はピンクの花の可憐さを。
だけど、そんな華やかな印象は、少女の内側に秘められた激烈な性格を知らない間だけの幻想だということを、ルージュは痛いくらいに知っていた。
「ラナ姫様――」
ルージュは端整な顔立ちを崩し、慌てて胸ポケットから絹のハンカチを取り出したが、主を庇って暴走馬車が跳ね上げた泥水を被ったので――庇ってみたが、結局は二人一緒に水を被ってしまった――当然ながらハンカチも薄汚れていた。
ハンカチの端を摘み、布を広げて、ルージュは汚れていない部分を探す。
そうして、まだ泥水が染み付いていない部分を彼女の頬に寄せると、風が吹いて、ハンカチはラナリスタの顔にピタリと張り付いた。
あっ、とルージュが思う間もなく、頭から滴る水分を吸ってハンカチは重たく、呼吸する隙間を残さず、ラナリスタの顔を覆う。
窒息寸前――手袋に包んだ指が震えながらに、ハンカチへと伸びる。剥ぎ取られた絹の下から現れた美貌は、怒りに赤く染まっていた。
「……ラナ姫様……」
「ルージュ、どいて頂戴」
ラナリスタの艶やかな赤い色の唇。その引きつった端から、低く押し殺された声が吐き出された。
殺気に満ちたその声音に、ルージュは額の上で漆黒の髪を揺らし、黙って頷いた。そして、静々とラナリスタに道を開ける。
カツンと、繊細な細工を施した靴の底で石畳を蹴りつけて、姫君は一歩踏み出した。
「……どういう言い訳を聞かせてくれるのかしら、レスタ殿?」
彼女の一声は、凍える冷気を吐き出して、見合い相手を比喩でも何でもなく――氷の彫像へと変えてしまった。
* * *
<人世>の世界では生れ落ちるとき、国の守護龍から加護を受け、人間はその身に魔力を宿す。
自国シールンの守護龍である風龍の加護を授かりながら、隣国ウーインの守護龍、水龍の加護を得たラナリスタ。
シールン国の守護龍は、風龍だ。シールンの土地で生まれたその身に宿すのは、風の魔力のみであるはずなのに、ラナリスタはその美しさ――これら龍が見るのは、容姿の美醜ではなく、魂の形だと言われている――水龍にも愛され、水の魔力も持って生まれた。
二つの加護を授かりし、稀有な存在――ラナリスタ・シールン。国の名を自らの名とするのは、彼女が王族であるから。
絢爛豪華に咲き誇るバラの花のような、艶やかで可憐な美しさ故に、シールンの末姫ラナリスタには、お見合いの話がひっきりなしに申し込まれていた。
父王がそろそろ結婚などと口にしてから今日まで、ラナリスタは週に一度は見合いをしていた。
そして、記念すべき五十回目のお見合いは、隣国の貴族の青年だった。
王族であるラナリスタであるが、既に自国は五人の兄王子と四人の姉姫がいる。政略結婚をわざわざ結ぶ必要もないと、王はラナリスタが想う相手であれば、平民でも許そうと声を上げれば――シールン王の意図は、後に語る――世界各地から見合い話が持ち込まれてきたのだ。
恐らく、逆玉の輿を狙ったのであろう本日の見合い相手、レスタ青年はめでたくもラナリスタの氷の息吹の犠牲となった。
風と水の魔力は、ラナリスタに氷の魔法を授けた。
風は空気を操り、水は温度を調整する。それは本来、身の危険が迫ったときに発動する加護の力。争う事なかれと、<神世>の使いである龍たちが人々に授けられた魔力だった。
しかし、ラナリスタの場合、怒りが頂点に達すると氷の息吹となって、発動する。
その息吹に晒された人間の名を上げれば、とてもじゃないが一昼夜では足りない。
麗しい美貌に王家の姫君と、花嫁に望む条件はこれ以上ないだろうだろうに、五十回の見合いが一度も縁を結ばなかったのは、かような理由があった。
同時に、相手が誰であれ嫁がせたい――早くかたをつけたいと、シールン国王が願った理由。
今まで、ラナリスタの見合いはことごとく失敗していた。
その原因は何だと問われれば、我が姫君が世間一般の男たちより、ずっと男前な性格をしているからだと、姫君の近侍であるルージュは語る。
龍たちが彼女の魂を愛したのは、人間として生きていくにはあまりにも強すぎる信念だった。
弱いものを放っておけず、不正を許さず、理想は高く、妥協を求めない。
姫君の高潔な魂は清く、美しくはあったが、人間たちの手に余る代物だった。
逆玉の輿目当てで近づいてくる男共にとって、花嫁はお飾りであれば良かった。しかし、それをラナリスタが許すはずもない。
そうして、ラナリスタが見合い相手に理想を求めれば、男たちはその期待を片端から裏切ってくれた。
今回の破談のきっかけとなった事の顛末を語れば、彼女の兄姉たちはこぞって、理想が高すぎるのだと、言う。
だが、ラナリスタとしては己の身を預ける相手だ。何も暴走馬車を止めろとは言わない。ただ泥水を共に被るぐらいの男気を見せてくれても良いのではないかと、訴える。
結婚すれば、夫婦は一心同体。困難に対して共に立ち向かっていくのだからと、そう熱弁を振るうラナリスタは、当然ながら、結婚についても理想があるらしい。
「それを、何? あの人ってば、暴走馬車に気付いて早々に逃げ出してっ! 気づいていたのなら、アタシを庇いなさいっての!」
部屋に戻るやいなや、語気も荒々しく彼女は叫びながら、薄汚れた手袋を脱ぎ捨てる。
「あんな臆病者、こっちから願い下げよ」
――既に、あちら側からは今回の見合いは破談にしてくれと、話が来ているのだけれど。
どれだけ持参金を積まれようと、ラナリスタを花嫁に迎えようなどとは、レスタ青年は考えなかったらしい。
まあ、当然だろう。
氷像となったレスタ青年は、身体に負担をかけないよう慎重に解凍され、命は無事だった。
瞬間冷凍が功を奏していることは、今までの犠牲で証明されている。ラナリスタの怒りを買って、氷付けにされた男たちは誰一人として、死んではいない。
じわじわと凍らされていたのなら、凍傷で命は危なかっただろう。だが、ラナリスタの<氷の息吹>は強烈で、瞬間で冷凍してしまう。
あっと言う間にカチンコチンと、人を氷へと変えてしまうラナリスタは、一部では<氷の姫君>と囁かれている。
それでも、見合いの申し込みが尽きることないのは、誰もがそんな現象を信じていないからだ。レスタ青年も、自らが凍らされるまで、信じてはいなかったのだろう。
だが――凍らされて、彼は知った。
事あるごとに、氷付けにされていたら、いつかは命が無くなる、と。
過去、ラナリスタの見合い相手たちも同様に、こぞって自らの命を惜しんだ。
美しいバラには棘があると知っていても、己の命を脅かすバラの花は、ごめんだと言ったところか。
絨毯の上に落ちた手袋を、ルージュは黙って拾う。
次に髪飾りを拾い、靴を拾い、泥水が染みた靴下と、隣の浴室へと続いていく痕跡を、ルージュは腕の中に抱え込んでいく。
両の手が塞がる頃、ルージュの目の前には、シュミーズ姿のラナリスタがいた。
薄い衣越しには、もう少女とは呼べない柔らかな身体の線が薄く見える。
「――あのですね、ラナ姫様。何度も言いますように、私は男ですよ?」
深紅の瞳を横に逸らして、ルージュは苦々しい声を吐いた。
ラナリスタの身の回りの世話をする近侍とはいえ、男のルージュが彼女の湯浴みを手伝えるはずはないだろうに。それを知っているだろうに、彼女は無防備に裸になろうとする。
――男に見られていないのは知っているが、と。
ルージュは、自分と姫君との間にある問題に頭を抱えたくなる。
「服を脱ぐなら脱ぐと言ってください」
抗議の声を上げれば、ラナリスタは金の髪を揺らして振り返った。
「脱いだわ」
「事後報告ではなくて……」
首を振ったルージュの視界に、ラナリスタの姿が入り込んでくる。
青い宝石がほんの一瞬、挑戦的に光っていたのをルージュは見逃さなかった。
適度に鍛えられた――女であることを否定しないが、女であることに甘えもしないラナリスタは、兄王子たちに混じって、剣の稽古などをしていたりする。その効果だろう――白い太ももの上で、下着の裾が揺れている。淵を飾るレースの影が、花模様を作っているのを目に留めれば、ルージュはゴクンと喉を鳴らした。
誘惑のつもりか?
十八歳を数えるルージュは、健全な男子だ。目の前に健康美に溢れた女性がいれば、興奮しないほうが無理だというもの。
だけど――。
「…………」
思わず声を飲み込めば、ラナリスタが首を傾げて、ルージュを覗き込んできた。
「照れているの、ルージュ?」
「はっ? ――いや、これは」
我に返って慌てふためくルージュを前に、ラナリスタはフフフッと声を響かせた。
「ま、ルージュは女なんかに興味はないわよね」
断定するように、彼女は言った。やはり、からかわれていたようだ。
腹立たしさを押し殺しながら、ルージュは心の中で、ありますよ、と否定した。
「だって、ルージュは猫男なんだものねぇ?」
蕾がほころぶ様に唇を緩めて笑う無邪気な笑顔は、年相応に見えた。
その愛らしい笑顔を前に、ルージュは片頬を引きつらせた。それは怒りではなく、己の不手際を自覚しての、痙攣だった。
何で、誤解されることになったのは、タイミングの悪さとルージュの沈黙のせいだけれど。
――とはいえ、本当のことをあの場面では言えなかっただろう?
自問自答すれば、ルージュはため息をつくしかない。
後は野となれ、山となれと自暴自棄になりそうになるが――どんなに誤解されようと、彼女から離れられない自分を知れば、ルージュは痙攣する頬を叱咤し、いつもの笑みを顔面に飾る。
「ルージュが人間だったら、良かったのに」
そう、ラナリスタは惜しそうに呟いた。
彼女の言が現すとおり、ルージュは人間ではない。
見た目には、人間の姿をしているが、その実は違う。いや、この姿が本来のルージュの姿ではあるのだが……。
果たして、何が本当なのかと問われると、答えに迷う部分もあった。
「――猫だなんて、勿体ない」
もっとも、ラナリスタのそれは誤解も甚だしいものであったがため、ルージュは絶望的な思いで天を仰いだ。
誰が、猫だ。

↓書きかけの小説の、猫男もとい近侍の青年のキャライメージだったり。
天空の花嫁
1,氷の姫君
水も滴るいい女――そう賞賛されたのなら、どんな女性も悪い顔はしないだろう。
しかし、実際に頭から泥水を被って笑っていられる女性は、相当に我慢強いのか、はたまた、水を被ったことに気づかない大ボケか。
シールン王家の末姫に仕える、漆黒の髪に深紅の瞳が鮮やかな青年ルージュは、頭から水を滴らせる主の姿に――心の内側で、そう思考した。
彼の主であるラナリスタ姫は、我慢強くもなければ――我慢するより、状況打破に努める性格で――大ボケでもない――けれど、いい女ではあった。
シールン国の末姫であるラナリスタ。年は先月、生誕の日を迎えて十六を数えた。
少女から乙女へと、緩やかに成長する兆しを見せる優美な肢体。
淡い薄紅色のドレスの大胆にカットされた胸元に映えるは、雪花石膏の肌。
瑞々しくはりのある頬は、淡いピンクに色づき、柔らかな線を描いて流れる先の、顎は細く。
赤い色の唇はふくよかで、女の色香を漂わせていた。
瞳は、透明で深い青色をしている。その煌めきはまるで宝石のようだ。金の睫に縁取られた二つの宝石は丸く、乙女の中に一欠けらの幼さを残していた。
緩く波打つ淡い金色の髪に包まれ、色っぽさと愛らしさを同居させた姫君の美貌は、目に留めた者の呼吸を忘れさせるほどに、美しく。時を忘れて、見惚れてしまう。
ラナリスタの美貌は、例えるなら艶やかに咲き誇るバラの花のようである。
――肌は白い花の純潔。
――唇は赤い花の情熱。
――頬はピンクの花の可憐さを。
だけど、そんな華やかな印象は、少女の内側に秘められた激烈な性格を知らない間だけの幻想だということを、ルージュは痛いくらいに知っていた。
「ラナ姫様――」
ルージュは端整な顔立ちを崩し、慌てて胸ポケットから絹のハンカチを取り出したが、主を庇って暴走馬車が跳ね上げた泥水を被ったので――庇ってみたが、結局は二人一緒に水を被ってしまった――当然ながらハンカチも薄汚れていた。
ハンカチの端を摘み、布を広げて、ルージュは汚れていない部分を探す。
そうして、まだ泥水が染み付いていない部分を彼女の頬に寄せると、風が吹いて、ハンカチはラナリスタの顔にピタリと張り付いた。
あっ、とルージュが思う間もなく、頭から滴る水分を吸ってハンカチは重たく、呼吸する隙間を残さず、ラナリスタの顔を覆う。
窒息寸前――手袋に包んだ指が震えながらに、ハンカチへと伸びる。剥ぎ取られた絹の下から現れた美貌は、怒りに赤く染まっていた。
「……ラナ姫様……」
「ルージュ、どいて頂戴」
ラナリスタの艶やかな赤い色の唇。その引きつった端から、低く押し殺された声が吐き出された。
殺気に満ちたその声音に、ルージュは額の上で漆黒の髪を揺らし、黙って頷いた。そして、静々とラナリスタに道を開ける。
カツンと、繊細な細工を施した靴の底で石畳を蹴りつけて、姫君は一歩踏み出した。
「……どういう言い訳を聞かせてくれるのかしら、レスタ殿?」
彼女の一声は、凍える冷気を吐き出して、見合い相手を比喩でも何でもなく――氷の彫像へと変えてしまった。
* * *
<人世>の世界では生れ落ちるとき、国の守護龍から加護を受け、人間はその身に魔力を宿す。
自国シールンの守護龍である風龍の加護を授かりながら、隣国ウーインの守護龍、水龍の加護を得たラナリスタ。
シールン国の守護龍は、風龍だ。シールンの土地で生まれたその身に宿すのは、風の魔力のみであるはずなのに、ラナリスタはその美しさ――これら龍が見るのは、容姿の美醜ではなく、魂の形だと言われている――水龍にも愛され、水の魔力も持って生まれた。
二つの加護を授かりし、稀有な存在――ラナリスタ・シールン。国の名を自らの名とするのは、彼女が王族であるから。
絢爛豪華に咲き誇るバラの花のような、艶やかで可憐な美しさ故に、シールンの末姫ラナリスタには、お見合いの話がひっきりなしに申し込まれていた。
父王がそろそろ結婚などと口にしてから今日まで、ラナリスタは週に一度は見合いをしていた。
そして、記念すべき五十回目のお見合いは、隣国の貴族の青年だった。
王族であるラナリスタであるが、既に自国は五人の兄王子と四人の姉姫がいる。政略結婚をわざわざ結ぶ必要もないと、王はラナリスタが想う相手であれば、平民でも許そうと声を上げれば――シールン王の意図は、後に語る――世界各地から見合い話が持ち込まれてきたのだ。
恐らく、逆玉の輿を狙ったのであろう本日の見合い相手、レスタ青年はめでたくもラナリスタの氷の息吹の犠牲となった。
風と水の魔力は、ラナリスタに氷の魔法を授けた。
風は空気を操り、水は温度を調整する。それは本来、身の危険が迫ったときに発動する加護の力。争う事なかれと、<神世>の使いである龍たちが人々に授けられた魔力だった。
しかし、ラナリスタの場合、怒りが頂点に達すると氷の息吹となって、発動する。
その息吹に晒された人間の名を上げれば、とてもじゃないが一昼夜では足りない。
麗しい美貌に王家の姫君と、花嫁に望む条件はこれ以上ないだろうだろうに、五十回の見合いが一度も縁を結ばなかったのは、かような理由があった。
同時に、相手が誰であれ嫁がせたい――早くかたをつけたいと、シールン国王が願った理由。
今まで、ラナリスタの見合いはことごとく失敗していた。
その原因は何だと問われれば、我が姫君が世間一般の男たちより、ずっと男前な性格をしているからだと、姫君の近侍であるルージュは語る。
龍たちが彼女の魂を愛したのは、人間として生きていくにはあまりにも強すぎる信念だった。
弱いものを放っておけず、不正を許さず、理想は高く、妥協を求めない。
姫君の高潔な魂は清く、美しくはあったが、人間たちの手に余る代物だった。
逆玉の輿目当てで近づいてくる男共にとって、花嫁はお飾りであれば良かった。しかし、それをラナリスタが許すはずもない。
そうして、ラナリスタが見合い相手に理想を求めれば、男たちはその期待を片端から裏切ってくれた。
今回の破談のきっかけとなった事の顛末を語れば、彼女の兄姉たちはこぞって、理想が高すぎるのだと、言う。
だが、ラナリスタとしては己の身を預ける相手だ。何も暴走馬車を止めろとは言わない。ただ泥水を共に被るぐらいの男気を見せてくれても良いのではないかと、訴える。
結婚すれば、夫婦は一心同体。困難に対して共に立ち向かっていくのだからと、そう熱弁を振るうラナリスタは、当然ながら、結婚についても理想があるらしい。
「それを、何? あの人ってば、暴走馬車に気付いて早々に逃げ出してっ! 気づいていたのなら、アタシを庇いなさいっての!」
部屋に戻るやいなや、語気も荒々しく彼女は叫びながら、薄汚れた手袋を脱ぎ捨てる。
「あんな臆病者、こっちから願い下げよ」
――既に、あちら側からは今回の見合いは破談にしてくれと、話が来ているのだけれど。
どれだけ持参金を積まれようと、ラナリスタを花嫁に迎えようなどとは、レスタ青年は考えなかったらしい。
まあ、当然だろう。
氷像となったレスタ青年は、身体に負担をかけないよう慎重に解凍され、命は無事だった。
瞬間冷凍が功を奏していることは、今までの犠牲で証明されている。ラナリスタの怒りを買って、氷付けにされた男たちは誰一人として、死んではいない。
じわじわと凍らされていたのなら、凍傷で命は危なかっただろう。だが、ラナリスタの<氷の息吹>は強烈で、瞬間で冷凍してしまう。
あっと言う間にカチンコチンと、人を氷へと変えてしまうラナリスタは、一部では<氷の姫君>と囁かれている。
それでも、見合いの申し込みが尽きることないのは、誰もがそんな現象を信じていないからだ。レスタ青年も、自らが凍らされるまで、信じてはいなかったのだろう。
だが――凍らされて、彼は知った。
事あるごとに、氷付けにされていたら、いつかは命が無くなる、と。
過去、ラナリスタの見合い相手たちも同様に、こぞって自らの命を惜しんだ。
美しいバラには棘があると知っていても、己の命を脅かすバラの花は、ごめんだと言ったところか。
絨毯の上に落ちた手袋を、ルージュは黙って拾う。
次に髪飾りを拾い、靴を拾い、泥水が染みた靴下と、隣の浴室へと続いていく痕跡を、ルージュは腕の中に抱え込んでいく。
両の手が塞がる頃、ルージュの目の前には、シュミーズ姿のラナリスタがいた。
薄い衣越しには、もう少女とは呼べない柔らかな身体の線が薄く見える。
「――あのですね、ラナ姫様。何度も言いますように、私は男ですよ?」
深紅の瞳を横に逸らして、ルージュは苦々しい声を吐いた。
ラナリスタの身の回りの世話をする近侍とはいえ、男のルージュが彼女の湯浴みを手伝えるはずはないだろうに。それを知っているだろうに、彼女は無防備に裸になろうとする。
――男に見られていないのは知っているが、と。
ルージュは、自分と姫君との間にある問題に頭を抱えたくなる。
「服を脱ぐなら脱ぐと言ってください」
抗議の声を上げれば、ラナリスタは金の髪を揺らして振り返った。
「脱いだわ」
「事後報告ではなくて……」
首を振ったルージュの視界に、ラナリスタの姿が入り込んでくる。
青い宝石がほんの一瞬、挑戦的に光っていたのをルージュは見逃さなかった。
適度に鍛えられた――女であることを否定しないが、女であることに甘えもしないラナリスタは、兄王子たちに混じって、剣の稽古などをしていたりする。その効果だろう――白い太ももの上で、下着の裾が揺れている。淵を飾るレースの影が、花模様を作っているのを目に留めれば、ルージュはゴクンと喉を鳴らした。
誘惑のつもりか?
十八歳を数えるルージュは、健全な男子だ。目の前に健康美に溢れた女性がいれば、興奮しないほうが無理だというもの。
だけど――。
「…………」
思わず声を飲み込めば、ラナリスタが首を傾げて、ルージュを覗き込んできた。
「照れているの、ルージュ?」
「はっ? ――いや、これは」
我に返って慌てふためくルージュを前に、ラナリスタはフフフッと声を響かせた。
「ま、ルージュは女なんかに興味はないわよね」
断定するように、彼女は言った。やはり、からかわれていたようだ。
腹立たしさを押し殺しながら、ルージュは心の中で、ありますよ、と否定した。
「だって、ルージュは猫男なんだものねぇ?」
蕾がほころぶ様に唇を緩めて笑う無邪気な笑顔は、年相応に見えた。
その愛らしい笑顔を前に、ルージュは片頬を引きつらせた。それは怒りではなく、己の不手際を自覚しての、痙攣だった。
何で、誤解されることになったのは、タイミングの悪さとルージュの沈黙のせいだけれど。
――とはいえ、本当のことをあの場面では言えなかっただろう?
自問自答すれば、ルージュはため息をつくしかない。
後は野となれ、山となれと自暴自棄になりそうになるが――どんなに誤解されようと、彼女から離れられない自分を知れば、ルージュは痙攣する頬を叱咤し、いつもの笑みを顔面に飾る。
「ルージュが人間だったら、良かったのに」
そう、ラナリスタは惜しそうに呟いた。
彼女の言が現すとおり、ルージュは人間ではない。
見た目には、人間の姿をしているが、その実は違う。いや、この姿が本来のルージュの姿ではあるのだが……。
果たして、何が本当なのかと問われると、答えに迷う部分もあった。
「――猫だなんて、勿体ない」
もっとも、ラナリスタのそれは誤解も甚だしいものであったがため、ルージュは絶望的な思いで天を仰いだ。
誰が、猫だ。




